読み物:魚について

ハモ(鱧)〜京都の夏を支えた魚〜 祇園祭を「鱧祭り」と呼ぶ理由 8月の京都を歩けば、料亭や居酒屋の軒先で「鱧料理」の文字を目にすることでしょう。実は7月から8月にかけての京都の夏は、一匹の魚によって支えられてきた長い歴史があります。その魚こそが「ハモ(鱧)」です。 国の重要無形民俗文化財、ユネスコ無形文化遺産でもある「祇園祭」(7月1日から31日に開催される伝統行事)は、「はも祭り」の別称でも親しまれており、行事食としてハモ料理が振る舞われるのです。なぜ海から遠い内陸の京都で、ハモがこれほどまでに重要な存在となったのでしょうか。 生命力の強さが運んだ奇跡 ハモはウナギ目・ハモ科に属する海水魚で、大きい個体は2m近い体長になることもある魚です。口には鋭い歯が並んでおり、気性も荒い。水揚げされたあとも、激しく動きまわり噛みついてくることもあるという獰猛な性格を持ちながら、見た目に反して、肉質は美しい白身で淡白な味わいという魚なのです。 京都でハモ文化が発達した最大の理由は、その並外れた生命力にあります。生命力の強いハモなら、遠方からでも京都まで生きたまま運んでくることができたからだといわれているのです。 農林水産省の資料によると、丹後の海では年に数トン程度が水揚げされているが、京都で食べられているハモの多くは瀬戸内や玄界灘などでとれたものです。輸送技術が未発達だった時代、夏の暑さの中を生き抜いて京都に到着できる海魚は、ハモしかいませんでした。 職人技が生んだ「骨切り」の芸術 しかし、ハモには大きな問題がありました。小骨が多く、調理に手間がかかるのです。この難題を解決したのが、京都の料理人たちが編み出した「骨切り」という技術でした。 骨切りには熟達した技術が必要で、「京都の料理人は骨切りを覚えてから一人前」といわれるほどです。具体的には、腹側から開いたハモの身に、皮を切らないように細かい切りこみを入れて小骨を切断する技法で、下手にこれをやると身が細かく潰れてミンチ状になってしまい、味、食感ともに落ちてしまうため熟練が必要な作業なのです。 その技術の高さは、「一寸(約3cm)につき26筋」包丁の刃を入れられるようになれば一人前といわれるという基準からもうかがえます。この骨切り技術により、京都ではハモの消費が飛躍的に増えたのです。 江戸時代に花開いたハモ料理文化 ハモ料理の多様性と人気は、江戸時代の文献からも確認できます。最も注目すべきは、寛政7(1795)年に出た「海鰻百珍(はむひゃくちん)」には、100種類以上もの鱧の料理法が載っていて、骨切りにも言及していることです。 この「海鰻百珍」は、国立情報学研究所(CiNii)の学術データベースにも収録されており、江戸時代中・後期の「百珍もの」と言われた料理書の一つとして、豆腐、鯛、卵、蒟蒻、甘藷、柚、ハモなどの各素材について各々約100種類、計840種もの料理法を載せた貴重な史料です。...