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土用の丑の日とうなぎ〜江戸時代の商業的工夫が育んだ夏の風物詩〜
```現代にも通じる江戸時代の商業的工夫
8月の猛暑日、「今日は土用の丑の日だから、うなぎを食べに行こう」という会話が日本全国で交わされることでしょう。しかし、この「土用の丑の日にうなぎを食べる」という習慣が、実は江戸時代の商業的な工夫から育まれた可能性が高いということをご存知でしょうか。そこには、現代のビジネスにも通じる興味深い販促の知恵が隠されていたのです。
奈良時代から続くうなぎと夏バテの関係
うなぎと夏の関係は、実は非常に古い歴史を持っています。日本最古の歌集『万葉集』には、大伴家持が詠んだ「石麻呂に われ物申す 夏痩に良しといふ物そ 鰻取り食せ」という歌が収められています。石麻呂(いしまろ)は、百済から渡来した名医・吉田連宜の息子で、大伴家持の親友。生まれつき非常に痩せていたため、家持から『夏痩せにうなぎを食べなさい』とからかいの歌を詠まれた人物です。この歌は現代語に直すと「石麻呂よ、私が申し上げる。夏痩せに良いというものがある。うなぎを捕って食べなさい」という意味で、1200年以上前の奈良時代には、すでに夏バテにうなぎが効くという認識があったことを示しています。
この認識は決して迷信ではありませんでした。農林水産省の広報用Webマガジンでも紹介されているように、うなぎには夏バテ予防に必要な栄養素が豊富に含まれています。特にビタミンA、B群、E、Dなどの栄養が豊富で、ビタミンAは100グラム食べれば成人の一日に必要な摂取量に達する量が含まれているのです。
古くから認められていた栄養価
高たんぱくで栄養価が高く、特にビタミンA、ビタミンE、DHA、EPAなどの栄養素を豊富に含むうなぎは、夏の暑さで消耗しやすい体力を回復させる理想的な食材です。この認識は奈良時代にはすでに確立されていたことが、文献からも明らかになっています。
江戸時代の商業革命:諸説ある起源
では、なぜ「土用の丑の日」という特定の日にうなぎを食べる習慣が生まれたのでしょうか。その背景には、江戸時代の商業的な事情がありました。
当時主流だった天然うなぎの旬は秋から冬とされており、夏場はうなぎが売れない時期でした。
土用の丑の日にうなぎを食べる習慣の由来には諸説ありますが、最もよく知られているのが平賀源内による発案説です。この説によると、あるうなぎ屋が平賀源内に対して「夏場はうなぎが売れなくて困る」と相談したところ、源内は「本日 土用丑の日」「鰻食うべし」と店頭に張り紙をして宣伝するよう提案したとされています。
この平賀源内(1728-1780年)は、本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家として多彩な才能を発揮した人物で、「嗽石香(そうせきこう)」という当時の歯磨き粉の宣伝文を書くなど、コピーライターとしても活躍していました。ただし、この説の出典は明確ではなく、あくまで伝承の一つとして理解する必要があります。
古来の風習と結びついた巧妙な戦略
源内の提案が成功した背景には、古来からの日本の風習がありました。日本では、古来より丑の日に「うの付く食べ物」を食べると縁起がよいとされ、うの付く食べ物を食べて無病息災を願うという習わしがあったのです。うどん、梅干し、うり(きゅうりやすいかなど)、さらには馬肉、牛肉なども「う」の付く食べ物として丑の日に食べられていました。
源内は、この既存の風習に「うなぎ」を巧妙に結びつけることで、新たな需要を創出したとされています。この説によれば、張り紙効果は絶大で、うなぎ屋は大盛況となり、やがて多くのうなぎ屋がマネをしだし、夏の土用の丑の日にうなぎを売ることが定番化していったということです。
もう一つの起源説:春木屋善兵衛の偶然
平賀源内説と並んで有名なのが、江戸時代のうなぎ屋「春木屋善兵衛」に由来する説です。文政年間(1818~1830年頃)に、神田和泉橋通りにあったこの店が、土用にうなぎの蒲焼の大量注文を受けた際の出来事が起源とされています。
春木屋善兵衛は、子(ね)の日、丑の日、寅(とら)の日と3日間に分けて蒲焼を作り保存していました。すると、丑の日に作ったものだけが傷んでいなかったことから、土用の丑の日にうなぎを食べるようになったというのです。この話は、食品保存技術が未発達だった当時において、非常に実用的な発見だったと考えられます。
文献に残る土用の丑の日の定着
文政5年(1822年-1823年)当時の話題を集めた『明和誌』(青山白峰著)によれば、土用の丑の日にうなぎを食べる風習は、安永・天明の頃(1772年-1788年)よりの風習であるとされています。この記録は、土用の丑の日とうなぎの関係が江戸時代中期には確実に定着していたことを示す貴重な史料です。
五行思想に基づく「土用」の意味
そもそも「土用」とは何でしょうか。これは、季節の変わり目である立春・立夏・立秋・立冬の直前の約18日間を指します。古代中国の五行思想に基づき、「この世のすべては、木・火・土・金・水の5つの要素でできている」と考えられていました。春はぐんぐん育つ木、夏は燃える火、秋は実りの金、冬はシンと静かな水にそれぞれ対応し、「土」は季節の変化を受け止めて芽生えさせるクッション的な準備期間として位置づけられたのです。
中でも夏の土用の期間は、立秋を前にした暑い時期に当たり、梅雨明けと重なるため、厳しい暑さや高い湿度で雑菌が繁殖しやすく、昔から人々が体調を崩しやすい時季でした。そのため、この時期に体に良い食べ物を摂る「食養生」が重要視されたのです。
現代に続くうなぎの栄養価値
現代の栄養学から見ても、うなぎが夏バテ防止に効果的であることは科学的に証明されています。うなぎには、DHA・EPA、カルシウム、ビタミンA、ビタミンB1、タンパク質など、さまざまな栄養素が含まれています。
特に注目すべきは、ビタミンB1がうなぎの蒲焼き一切れ(150g)の中に0.79mgも含まれていることです。ビタミンB1は食欲不振や疲労回復効果があるとされる栄養素で、糖質と脂質を代謝するのに必要なビタミンB群が豊富に含まれているため、夏の暑さで衰えた体力を回復させてスタミナをつけるのに最適な食材なのです。
2025年の土用の丑の日
2025年の夏の土用の丑の日は、7月19日(土)と7月31日(木)の2回あります。土用は約18日間続くため、その期間中に丑の日が2回来ることがあり、1回目を「一の丑」、2回目を「二の丑」と呼んでいます。
おわりに:江戸時代から続く食文化
土用の丑の日にうなぎを食べるという習慣の起源には諸説ありますが、いずれも江戸時代の商業的な工夫から生まれた可能性が高いとされています。既存の風習を活用し、商品の特性を的確に訴求し、季節的な需要の谷間を埋めるという発想は、現代のマーケティングでも通用する考え方です。
真偽のほどは定かではありませんが、平賀源内や春木屋善兵衛に関する伝承が、300年近く経った現在でも日本の夏の風物詩として愛され続けているのです。今年の土用の丑の日にうなぎを味わう時、その一口に込められた長い歴史と伝統を思い起こしてみてはいかがでしょうか。
参考文献
- 『万葉集』大伴家持
- 『明和誌』(青山白峰著、文政5年)
- 農林水産省広報用Webマガジン
- Wikipedia「土用の丑の日」
- 各種江戸時代史料・文献
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